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清水園茶室公開中
新発田藩主3代目溝口宣直が下屋敷として清水谷御殿を1666年に建てました。このあたり一帯清水谷とよばれていたので、下屋敷は清水谷御殿と称した。その後、新発田藩主4代目溝口重勝が庭園を造りました。明治戊辰の役に際しては、数千に及ぶ領民が藩主溝口直正の上関行きを止めるよう請願したので、直正はやむなくこの清水谷御殿に駕を留めたため、新発田藩は兵火を免れたという歴史的な舞台となった所でもあります。昭和21年、北方文化博物館の管理するところとなり、清水園と名づけたそうです。    斉藤           
2007/06/25(Mon) | スタッフの独り言 | page top↑
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